「さんぽ鹿児島」メールレター 令和4年2月号
発想の転換 |
四季の中でも春は殊更にさまざまな記憶を蘇らせる季節です。
卒業・進学・就職・転勤など多様な身のまわりの変化。
そしてそれらは出来事の記憶だけでなく、桜の花・新しい制服等の色彩や匂いという感覚的な記憶、笑顔や悔しさといった情動的記憶までも伴っているので、他の季節に比べてより鮮明な記憶となっているのでしょう。
ところが、2019年11月に中国武漢市から始まったコロナ対応生活のもとでの春は、受験も卒業式も入社式も新入社員研修も卒業旅行も花見も何もかもみんな変わってしまい、頬の筋肉が緩むような暖かい記憶は減り、本来なら可能なはずのことも出来ないという不全感を伴う記憶ばかりが増えています。
コロナ禍で失ったものについて語るばかりの日々ですが、見る位置を変えるとコロナ禍で得たものも見つかるはず。
時間差出勤・在宅ワーク、そんな働き方も悪くないじゃないか。
集団に参加するのも大切だけど、一人でいられる能力も大切だと気付いたよ。
神経質も悪くないんじゃないか。
手洗い3回するからって馬鹿にするなよ。
そういう何らかの気づきのある春になれば良い。
「発想の転換」である。
「さんぽ鹿児島」メールレター 令和4年2月号
2022年1月