メンタルヘルスには市民権を得たか
メンタルヘルスには市民権を得たか |
昭和52(1977)年秋、
初めての往診先は時代がかった大きな農家でした。
長い廊下の突き当たり、雨戸を閉め切った暗い部屋に裸電球がともると、揺れる灯りの先にあったのは座敷牢。白髪交じりの長髪が腰まで覆って、隅に蹲っていたのは初老の男性でした。
(私宅監置制度は1950年の精神衛生法で廃止されたはずでしたが)
病院に着いてこざっぱりした彼は、長身の白い背に刺青のある、
物静かで高倉健さん似のイイ男でした。
二回目の往診はその数週間後、ごみごみした町の一角のアパートでした。
白髪を見事におかっぱに整えた老女は、布団の上にふわふわと正座しつつ、
なんのために呼んだのかと私を睨みながら、初老の娘を下女の如く叱責するのでした。
引っ掻かれながら車まで抱き上げたその身体は風のように軽く、
石鹸のにおいがしました。幻覚と妄想を抱えた彼らは、
終戦後ずっとそのようにしてひっそりと(30年余り)それぞれの人生をそれぞれのやり方で匿われてきたのでした。
「まさか私が、頭がおかしくなって、こんな所に来るなんて」
と泣き崩れる中年の女性。
「心療内科に行こうと言うと、俺の頭がおかしいと言うのか、と息子は怒鳴るんですよ」
と困惑する初老の母。
「診断書にうつ状態と書かないでください、
自律神経失調状態も困ります、左遷されるか窓際なんです」
と語る壮年サラリーマン。
二十数年後のつい最近の私の診察室。
こんな会話が未だに交わされることがあります。
ウツは「心の風邪」ともいわれ、いくつかのストレスが重なったときの初期症状は「様々な自律神経の乱れ」として現れやすい、ということもよく知られているところだと思います。
ですが、メンタルヘルスという言葉が市民権を得ているかというと、このようにまだまだというのが現状のようです。
家庭で、職場で、「メンタルヘルス(心と体の健康)」の重要性を、
これからも強調し続けていく必要性を感じています。
「さんぽ鹿児島」第22号 掲載原稿
(2002年-4月号)